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ハイチ帝国 (1804年-1806年) : ウィキペディア日本語版 | ハイチ帝国 (1804年-1806年)[はいちていこく]
ハイチ帝国(Empire du Haïti)は、1804年に独立したハイチが、皇帝としてジャン=ジャック・デサリーヌ(ジャック1世)を戴くことで成立した国家。 == 概要 == フランスの植民地だったサン=ドマングは、激しい独立戦争の末に独立を達成した。1803年11月30日からサン=ドマングの総督となっていた独立戦争の英雄ジャン=ジャック・デサリーヌは、1804年1月1日にゴナイーヴにて、公式にサン=ドマングの独立を宣言し、国名を「ハイチ」に改めた。また、自身は終身総督の地位に就いた。さらに、同年9月22日、デサリーヌはフランス帝国皇帝のナポレオン1世に倣って皇帝として即位し、ジャック1世を称した。1805年5月20日には帝国憲法が公布され、ジャック1世は後継者指名権を獲得した。 権力掌握後のジャック1世は植民地支配の報復として白人を大量に殺害し、白人の持つ資産・土地を没収した。しかし、そんな皇帝の統治に不満を持つ北部の実力者アンリ・クリストフと南部の実力者アレクサンドル・ペションらの策謀により、1806年10月17日、ジャック1世は反乱鎮圧に向かう途上のポン=ラルナージュ(現在のポン=ルージュ)で暗殺された。 ジャック1世の死後、ハイチの国土は北部のハイチ国と南部のハイチ共和国に分裂した。
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